今年、何度目かになる転職をかました僕ですが、一個前の会社は防災に関わる仕事だった。
環境問題が叫ばれるご時世であるが、僕みたいな仕事をしていた身からすると、結構モロに影響を受けていたわけです。
商品の発注が訳がわらない程、沢山きて、欠品をする。当然ながら欠品して「すみませんが、出荷できません」では済むはずもなく、色々な人にブチ切れられる。
社内にも社外にも謝りながら、商品を集めて、何とかその場を乗り切るが、頻発する台風の前ではその作業も無意味に近く、結局「もうダメだ」というところまで行き着くしか無かった。


毎年、災害が起きるたびに、「今年はやばいよな」と言葉を交わす。
しかし実際のところはどうなんだろう。
「今年はやばい」のか「今年もやばい」のか。直接の災害の被害者にでもならない限り、僕らの記憶はとにかく脆弱で、あっという間に忘れてしまう。


2年前に大阪で僕は大阪府北部地震と、あの強烈な台風21号を経験した。
僕は北摂住みだったので、地震の後、夕方に何とか家に辿り着いた時の自宅の惨状は辛かった。
数日前に購入したテレビは画面が割れていて、上手く映らなくなっていたし、皿は殆ど割れていた。さらには断水までしていた。
とは言え、あの地震は震度6で、大震災というレベルのものではなく、生活が元に戻るまで、ちょっとの時間はかかったけれど、そこまで大きな被害ではなかった(とは言え、ブロック塀の下敷きになり亡くなった小学生が一人いたので、この言い方は適切ではないかもしれないが)。
それでもあの被災者になるという経験の心細さは凄かった。やはりこういうことは、当事者にならないと分からないのだなと強く思った。
我が家がたまたまテレビが壊れてしまったのも大きかった気がする。何となく家の中はじんわりとわびしかくて、素っ気ない様な雰囲気がした。
ラジオは聴けたが、DJたちは「大丈夫です、皆さんは1人ではないですよ」と執拗に語りかけるが、逆にその言葉は僕が一人前の被災者であることを印象づけた形になってしまっていた様に思う。
あの時、僕が欲していたのは、地震も何も関係のない、普段馬鹿にしているバラエティ番組の、くだらない笑い声だったんじゃないかなと思う。


それがひと段落してから、同じ年に台風21号が上陸した。
ニュースでも散々放送されていたが、あれはとにかく凄かった。
あんな風と雨の音は、後にも先にも聞いたことがなかった。
僕は(無能な)会社の上司たちの判断ミスにより、普通通りに出社させられていた。
18時ごろになると既に台風は通り過ぎていたが、電車はことごとく止まっていて、社用車で帰ることになった。
その頃になってやっと気づいたのだけど、あまりの強風だったので、信号機はあらぬ方向に向きが変わってしまっていたのだ。
そうなると信号機はもう交通整理の役目を果たせる訳もなく、代わりに信号機の前に警察官が2人づつ配置され、交通整理をしていた。
もちろん場所によっては警察官もいなければ、信号の電源が落ちてしまっている道路も沢山あった。
通常であれば1時間で帰れる道を4時間ほどかけて家にたどり着いた時、僕はすっかり疲れ果てていた。
次の日から馬鹿みたいな防災商品の発注が来た。


ここに書いたのは、今日本や、世界のどこかで起きている災害と比べると、本当に小さな規模のもので、実際殆どの場合1ヶ月もすれば世間は元に戻っていた(とは言え、死人も出ていたわけですが……)。
そんな感じで、2018年はとにかく仕事もプライベートも、災害に振り回されて大変だった。だけど、そんなことも時間と共に忘れてしまいそうになる。
今年の災害のニュースを見て、人ごとだと思い始めてしまっている自分がいてゾッとすることがある。



Netflixで、最近配信開始された「日本沈没2020」。誰もが被災者になり得る、日本を戯画化した作品。
その気持ちだけは忘れてはいけない。他人事なんてあり得ないんだから。